今日は「10.19」。
もう毎年のようにブログやTwitterに書いていることなのだが、近鉄ファンにとっては忘れることができない日だ。
↑のエントリーで去年も同じことを書いたが、この出来事があったから、今のパリーグがあると言っても過言ではない。
そんな10月19日に、パリーグの歴史に名を刻む一人の選手が引退試合を行った。
平成の怪物・松坂大輔。
野球をあまり知らない人でも、この人の名前を聞いたことはあるだろう。高校時代からスターであり、西武ライオンズ入団後もパリーグを代表する投手として君臨した、数少ないスター選手の一人だ。
今日は西武ドームでの日本ハムとの試合。
そういえば松坂のデビュー戦も日本ハム戦だった。当時日本ハムの主力バッターだった片岡から奪った三振の映像は度々流されているので有名だと思うが、本当に衝撃のデビューだった。これも何かの因縁なのだろうか。
松坂は先発投手として出場。投手の引退試合ではよくある、先発投手として出てきて打者1人とだけ対戦するパターンだ。
対戦相手となる一番バッターは近藤健介。今年は主力の離脱が多かった日本ハムにおいて、3番4番あたりを打つことが多かった近藤をわざわざ一番に持ってきた。横浜高校の後輩ということもあると思うが、自分は日本ハムで今の持ち駒の中でNo.1のバッターを当ててきたのだと感じた。一時代を気づいた大投手に対して、日本ハムも最敬礼で迎えていたのだと。
ストライクは1球、結果はフォアボール。球速は110㎞/hほど。怪物と言われたあの球は見る影もなかったが、フォームだけは最後まで松坂大輔だったなと。
以下、思い出話。
自分の中で一番の松坂の思い出は、2001年9月24日の大阪ドームでの近鉄vs西武。2点差の9回裏、先発松坂から中村紀洋がサヨナラホームランを放ち、優勝マジックを1とした試合だ。自分がスポーツを見て泣いたのは、長い人生の中でもこのときだけだ。2日後の北川の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームラン(おつりなし)のときでも泣かなかったのにw
この日の松坂はそんなに調子が良くなかった。途中ではローズに日本記録に並ぶ55号ホームランも打たれている。普通の試合なら中盤で交代させられていただろうが、この試合は最後まで1人で投げ切った。
西武ライオンズの、そして、パリーグのエースとしての意地を魅せてくれていた気がする。東尾監督も、それを汲み取って敢えて交代させなかったのだろう。近鉄ファンとしても、あの松坂を打って勝ったことに価値があるし、だからこそ今でもしっかりと覚えている。
それだけすごい投手だったということかな?と今になって思う。
#松坂大輔
#19881019
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